羽鳥商店

GO羽鳥(マミヤ狂四郎)の自由帳。

納豆をパックのままでなく器に移してから食べる理由

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家でご飯を食べるとなったら、どんな食材であろうとも、器に移して食べるようにしてる。

もともと、そういう家だった。

納豆も、かーちゃんは器に移して出してくれていた。

なので私もそうしてる。

 

 

そんな私でも、いつぞやか、納豆をパックのまま食べる時期があった。

少しでも洗い物を減らそうと、時短の意味でそうしてた。

でも、な〜んだか、ウーン……ってなった。

全体的な見栄えも悪いし、なにより貧乏くさく感じたのだ。

値段も味は同じとはいえ、満足感は雲泥の差。

「いいもの食べたぞ」という達成感が皆無というか。

 

今は再び、もずく酢でも納豆でも、“ちゃんと食べよう” と心に決めた時には、器に移すことにしている。

見た目が良い。

全体的なバランスも良い。

豪華に見えるし、食器の口当たりも最高だ。

食材を器にうつすだけで、心が「ヨシっ!」と整うのである。

 

納豆のヌメヌメなんて、水を流しながら指でコチョコチョしてたら10秒か15秒くらいで完全に取れる。

あとは普通の食器と一緒に洗うだけ。

この数十秒の “時短” を惜しんで心が散らかるくらいなら、私は心が整う方を選択する。

 

今日も納豆を器に移した。

溶いた卵を入れて、ズズーっと食べた。

うん、おいしい!

これで、いいのだ。

時短たどかなんだとか、栄養とかなんだとか、そういうことより私は心が満たされる方を優先したい。

それこそが、食。

 

 

THE美味しん本 海原雄山至高の極意編