私が生まれて初めてチャオガー (ベトナム風の鶏粥)を食べたのは、ベトナムに初入国してから5日後くらいの時だった。
お店ではなく、泊まっていた宿 (というか、人んちの2階)の女将さんが作ってくれたチャオガーだ。
その数時間前──。
真夜中も真夜中。
私は胸の痛みに耐えかねて飛び起きた。
胸というか、心臓が痛い。
涙が出るほど心臓あたりが激痛。
なんなんだこれ。
オレ、死ぬのか?
本気で死を覚悟した私は、「地球の歩き方」の最後の方のページに載っていた救急病院のリストをチェックした。
なんとしてでも治してもらいたいので、応対も完璧にしたい。
よって「日本語対応」の病院に行く必要があった。
しかも、24時間対応の病院だ。
しかしさすがはホーチミンシティ。
あった。
行くしかない。
真夜中だけど、勇気を出して行くしかない。
なぜ勇気が必要なのかといえば、その宿 (というかマジで人んち)の1階には、オーナー家族が川の字になって寝ているからだ。
なんというか、キッチン&トイレむきだしのワンルーム。
ベッドなんてない。
お父さん、お母さん。
そして大きなお兄さん、その弟。
もうひとりは枯葉剤の影響か、重度の障害がある青年だった。
そんな5人がギューギューになって寝ているところを、そろ〜り、そろ〜りと、つま先で またいで玄関へ。
──と、その時。
女将さんが「どこ行くの? こんな時間に」と小声で私につぶやいた。
私は「心臓が痛い。病院へ行く」とつたない英語で伝えたが、女将さんは「?」みたいな顔をしていた。
もしかしたら「傷心 (ハートブレイク)のため病院へ行く」と伝わっていたかも知れない。
ともかく、タクシーを拾って病院へ。
しかし、待てど暮らせど到着しない。
そればかりか、中心部からどんどん離れている。
その間も私の心臓は爆発寸前。
冷や汗を垂らしながら、タクシーの運ちゃんに行き先を尋ねた。
すると……
「空港に向かってる」
と言ったので、私はブチギレ気味にこう叫んだ。
「オレは今、死にそうになっている! 病院へ行けと言っただろう! なんなら住所すら見せただろう! なんで空港に向かっているんだこのクソ馬鹿野郎!」
そう喚き散らすと、「サーセン」的な態度でUターン。
今度こそ病院に向かってくれた。
病院に着くと、日本人の女性スタッフが対応してくれた。
なんという安心感。
そしてすぐに診察室へ。
なんとレントゲンまで撮ってくれた。
そして診断の結果は……肺炎。
それも、かなりひどい肺炎とのことで、1ヶ月くらいは安静にとの指示。
死ぬほど痛かった心臓の痛みはの正体は、全治1ヶ月の肺炎だったのだ。
外は明るくなっていた。
だいぶマシになったものの、胸の痛みは治らない。
半べそかきながら、テクテクと徒歩で宿まで帰った。
すると、すぐさま女将さんが「どうだった?」と聞いてきたので、バックパックの中から電子辞書を取り出して「肺炎」と伝えた。
ベトナム式の「あらまあ」的なリアクション。
「あんた、タバコ吸いすぎなんよ」的な注意。
まさに、私のベトナムでのお母さんだ。
自室に帰って寝ていると、コンコンとドアのノック音。
この宿は特別サービスとして、毎日、一杯の「レモンティー」を無料で差し出してくれる。
なので、この時も「レモンティーかな?」とドアを開けると、女将さんはお盆を持っていた。
その上にはいつものレモンティーと、お椀に入ったホカホカの料理がのっていた。
それが、チャオガーだった。
初めて食べるチャオガーは、女将さんの味だった。
コショーをガン効きさせるところは、私の母の料理と似ていた。
とてもスパイシーなチャオガーだったけど、途中から塩味も効いてきた。
なぜなら私はボロボロと泣いていたからだ。
心細いベトナムで、こんなことになっちゃったけど、こうして女将さんが心配してくれている。
「チャオガー食って元気になれ!」と言ってくれている。
この宿に泊まれて、本当に助かった。
毎日必ず最低1匹はデカいゴキブリが出るけれど、この宿にして本当によかった。
ここにいれば、きっと治る。
それが、私のチャオガー初体験。
なので、私のチャオガーのベースは、あのとき女将さんが作ってくれたチャオガー風味。
シンプルだけど、心の味がする女将のチャオガー。
たぶん世界で一番美味しいチャオガーだ。
ベトナムに行ったら、必ずその宿へ挨拶しに行く。
この宿のお父さん (ヘンさん)は数年前に亡くなってしまったけれど、女将さんやお兄さんたちは、今でも私のことを覚えていてくれる。
コロナがおさまったら、真っ先に行きたい。
お父さんの遺影に挨拶させてと。
シンチャオ〜、と。