知人より相談を受けた。
詳細は割愛するが、ビジネス的な投資の話。
聞けば怪しい話でもないし、その人には向上心もあるしセンスもある。
とりあえず今回はチャレンジ的な。
いずれは独立して、みたいな。
私の答えは、「いいんじゃない」と背中を押しつつも、「失敗を買いに行くような気持ちでいた方が良いよ」ともアドバイスした。
その人はおそらく一歩踏み出す。
それが1番大切なこと。
すぐにではないが、きっといつか成功する。
──私が常々思うのは、昔からかもしれないが、特に今の世の中は「成功」とか「正解」とか「最適解」を求めすぎているフシがある。
「苦労せずに◯◯ができる!」とか「そのやり方は間違っている!」とか。
そりゃ成功したいし正解も知りたいけれど、失敗を経験することも大切だと私は思う。
失敗の先に、「成功」がある。
いきなり成功とか、ありえない。
そんな世の中は甘くない。
失敗に失敗を重ね、経験値を積み上げまくった結果、ようやくひとつのゴールみたいなものが見えてくるのだ。
近道なんて、ない。
また、数多くの失敗を経験しているからこそ、その人の人間力みたいなものも分厚くなるもんだと思っている。
なので、軽々しく「こうすれば成功する」なんて言うやつはペテン師であるとさえ考えている。
失敗していない人なんて薄っぺらいし、信用もできないし、話を聞く価値さえ無いと思っているほど、私は「失敗の経験」を重視する。
もっと簡単に言えば「経験」を重視する。
だからチャレンジする人の背中を押すし、「どんどん失敗しろ」や「経験こそすべて」なんてことも言う。
文字通り「致命的」でない限り、積極的に「失敗」を積み重ねた方が、最終的に「成功」とか「理想」に近づけると信じているからだ。
どんどん失敗しろ。
失敗しまくれ。
失敗すればするほど「レベル」的な人間力は向上するから。
真の失敗は、失敗や苦労することを恐れ、踏み出そうとしないことである。
チャレンジしないから、経験値も動かない。
人間力も上がらない。
何も変わらない。
それこそが本当の意味での失敗だ。
昔から「若いうちの苦労は勝手でもしろ」なんて言うが、まさにそれは真理だと思う。
その苦労がそのまま経験値となるから、社会に出た時、いきなりレベチで戦えるのだ。
私は昨日も細かい失敗を積み重ねた。
決して好んで失敗したわけではないけれど、
・漫画の仕事でミスをした
・買い物で7000円ほど失敗した
・メシ (外食)のチョイスを誤った
・病院の検査の事前準備のルールを勘違いして完全に段取りを間違えた
・何年かぶりにウンコを漏らした
仕事のミスは、「1コマ目の、しょっぱなのツカミ的なセリフで脱字」という、舞台に上がった瞬間に大声で噛むみたいな大ポカだけど、即修正して問題解決。
想定外のクソ商品を買ってしまったことは潔く諦めば良いこと。もう2度とソレ系には近づかない。
メシの失敗は、それそのまま経験値。
検査の段取りミスは、今日巻き返せばなんとかなる……としても、44歳にしてのウンコ漏らしは我ながらフォローのしようがない。
屁だと思ったら、やたらと積極的な軟便だった。
これがもしも外だったら致命的。
家でよかった。
ラッキーだった……と思いながら、トイレの便器でパンツを洗った。
ウンが良かった。
|