羽鳥商店

GO羽鳥(マミヤ狂四郎)の自由帳。

プロの漫画家になって四半世紀が過ぎたもよう

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ロフィールを登録している求人情報サイトより、「漫画家で働き始めて25年が経ちました」というメールが届いた。

 

実は私、バイトはいろいろやってきたが、ロケットニュース24を運営している株式会社ソシオコーポレーション人生初の就職先

 

それまではずっとフリーの漫画家として生きてきたので、この求人登録サイトにも職歴「1999年12月より漫画家」としか書きようがなかったのだ。

 

1999年12月は、私のデビュー作『暗黒アジアンハッカーズ (太田出版)』が発売された月。よってプロ漫画家・ライター・イラストレーターとなってから25年というわけだ。

 

 

 

今は本職がロケットニュースなので漫画の仕事は最低限に抑えている。でも、かろうじて月刊誌の連載漫画仕事もある。あとは季刊誌とかの単発仕事。

 

いずれにしても、まさか四半世紀も漫画家として生きてこれるとは思わなかった。本当にありがたいことである。

 

 

 

ちなみにプロとしては25年だが、漫画を描き始めたのは小学校の低学年から。

 

コロコロコミックをはじめ、さまざまな雑誌にイラストや漫画を投稿しては掲載され、中学生の頃には週刊プロレスの常連に。

 

生まれて初めて絵でお金をもらったのも週刊プロレス。14歳の頃。読者コーナーの「扉絵」を描いて掲載されたら原稿料がもらえるのだ。たしか6000円だったと思う。

 

基本8枠ある投稿ハガキのスペースが、全て私の漫画で埋め尽くされたこともあった。常連になってからは、載らない週は無かった。数年間、毎週載ってた。

 

 

その頃は「ロベルト豪」と名乗っていたけど、高校1年の時、プロレスファンの親友から「これオマエじゃね?」とバレかかったので、急きょペンネームを「マミヤ狂四郎」と変更。

 

多分その時は15歳とかだと思うので、マミヤ狂四郎になってからは30年が経とうとしている。

 

ちなみになぜマミヤ狂四郎なのかについては、以下のエントリーに書いてある。もしよかったら読んでください。

※↓参照

ペンネーム「マミヤ狂四郎」の由来 - 羽鳥商店

 

 

昔から私を知る人は、私のことを「マミヤさん」と呼ぶ。漫画仕事の担当さんも私のことを「マミヤさん」と呼ぶ。

 

私の原点は間違いなく漫画家なので、いろいろなプロフィールの先頭には絶対に「漫画家」と書くようにしている。

 

いろいろな肩書き、いろいろな名前がある私だけど、ここまできたら死ぬまで漫画家マミヤ狂四郎でいられたらと思っている。

 

これからもがんばります。これからも笑わせます。どうぞよろしくお願いします。