羽鳥商店

GO羽鳥(マミヤ狂四郎)の自由帳。

ついこの前、ばーちゃんに会っておいてよかった

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のまえ実家に行った際、ばーちゃんの様子を見に行った。

実家のすぐ近くにある、ばーちゃんが入居している施設に向かった。

 

もうボケも進行しまくっていて、いつぞやか行った時は、私のことを完全に認識できていなかった。

それを覚悟で見に行った。

 

ところが、

 

 

「だれだい?」

「豪だよ」

「ああ、豪くんかい」

 

 

ビックリするほど会話ができた。

なぜなのかは、わからない。

 

 

ばーちゃんは全身が痛いらしく、しんどそうに寝ていた。

 

「どうしたもんかねぇ〜」

 

ばーちゃんは何度も私にそう問うてきた。

 

「メシいっぱい食って、よく寝て。そしたら元気になるさ」

 

私はそう答えるしかできなかったが、ばーちゃんは何度も何度も

 

「どーしたもんかねぇ〜。どーにもならんのかねぇ〜」

 

と言っていた。

 

そしてばーちゃんは

 

「豪くん、すまねえが、もうちっと寝かしてくれ。すまないね」

 

そう言って寝に入った。

 

「わかったよばーちゃん、また来るね!」

 

と私は言い施設を後にしたが、実は内心、これがばーちゃんと会う最後になるだろうと思っていた。

 

普通の会話ができたのは奇跡といっても良い。

 

 

ちなみにじーちゃんが亡くなってから、実家にいた頃のばーちゃんは、よく「また来てね」と帰り際に言っていた。

きっとじーちゃんがいなくなって、さびしかったのだろう。

 

その「また来てね」が無く、「もうちっと寝かしてくれ」ってところがまた、最後になるのかなと思った理由でもある。

 

 

になると思い出す。

ばーちゃんは私のことを「太陽の子」と言っていた。

えくぼがあるのは太陽に好かれているからだと。

あとは、私の花はハイビスカスだとも言っていた。

 

 

 

昨晩の真夜中、姉から連絡。

ばーちゃんが永眠したと。

今年亡くなったじーちゃんの後を追うように。

 

 

2024年の正月。

実家に行くと、祖父がいて。

祖母もいて。

親父も元気で。

 

 

それが今では──。

こんなにも状況は一気に変わるものなのかと。

2024年、なんという年なんだと。

 

 

 

がばーちゃんから引き継いだのは、「うどんのつゆ」の味と、そして、羽鳥家伝統レシピ「荏原病院」だ。

 

ばーちゃんの勘違いから誕生した、栄養たっぷり伝説のおかず「荏原病院」。

 

ばーちゃんから始まった荏原病院は、私の母に受け継がれ、私も会得し、私の下の代にも受け継がれ、さらにそれを私が記事にしたり動画にしたり公共のラジオで発言したこともありで、羽鳥家以外の多くの人にまで広まった。

 

それを考えると、ばーちゃんは、ひとつの料理を0から作り上げた偉大なる料理人でもある。

 

 

92歳、大往生。

ばーちゃん、長いことお疲れ様でした。

じーちゃんと天国で梅干しを作ったりしてください。

そしてゆっくり寝てください。

ずっと優しかったばーちゃん、ありがとう。

また思い出すね!

合掌。

 

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