羽鳥商店

GO羽鳥(マミヤ狂四郎)の自由帳。

おやじ、おつかれさまでした 〜家族4人が揃うとき〜

f:id:gohatori:20251110064607j:image

りと「勘」みたいなのは当たる方だ。

 

昨年2024年の6月からずっと病院の天井を見続けていた父。

入院直後はまだ目の動きの反応もよく、私を視線で追うこともできていた。

 

けど、その瞳には「豪は来ないでいいのに」みたいな感情があるように私には感じた。

「お前は仕事してろ。忙しいんだろ。こっちに構わなくてもいいから」

そんな言葉が目から聞こえる。

 

実際、言いそう。そういう男だ。

弱った姿を見られたくないってプライドもあったと思う。

 

なのでお見舞いは、たまに行く程度にしていた。

本当に私が忙しいってのもあるが。

 

 

1年半の間に3つの病院を渡り歩いた父。

まるで回復はしないけど、生命的には安定した状態が続いていた。

 

 

事態が急変したのは今年2025年の9月下旬。

下血がひどく、「今日あしたになるかもなので覚悟しておいて欲しい」との知らせが病院から来たと母から連絡。

 

かなりの緊急事態だが、私は会社で記事を書いていた。

しかも「親父の話」から始まる「旅の記事」を半分以上書き終えていた。

 

あと2時間あれば完成する。

なんとなくこの記事は今の勢いで、そして「今」書いてしまった方が良いと私は判断。

 

その記事がこちらで↓、

rocketnews24.com

 

書き終えてから、「ごめん、親父が危ないってことなんで病院行くね。この後に予定していた会議はオレ無しで進めて下さい」と会社を飛び出した。

 

その時、同僚の佐藤さんは、とても優しい目で私を見ていた。

いろいろな経験が垣間見える、なんとも言えない優しい顔をしていた。

 

 

そして私はタクシーで病院に飛んだ。

 

 

母も姉も父のベッドの横に座っていて、久しぶりに「家族4人」が揃ったかたちに。

 

しかし、予想に反して、なぜかいつもより親父の顔色は良かった。

たまに行くお見舞いの時より、明らかに顔色も反応も良いのだ。

 

私のことをじっと見てるし、姉が話を始めたら姉の方を向く。

母が話したら母を見る。

こんな好反応、今までに無い。

 

極め付けは、私が、

 

「おやじ、いまさっきまで、親父の話から始まる記事を書いてたんだよ。 NHKの『小さな旅』や日テレの『遠くへ行きたい』って番組、親父めっちゃ見てたじゃん? おぼえてる?」

 

と私が言うと、なんと首を横にブンブンと振って「覚えてない」というジェスチャーをしたのだ。

 

ここまでドンピシャなタイミングで、しかも「首を振った (NO的な意思表示をした)」のは父が倒れて入院以来初のことで、母も姉も椅子から立ち上がり「エーッ!?」と声を出しながら文字通りビックリ仰天。

 

すぐに「大きな声を出してしまった」と反省し、コソコソ話に戻る我々。

 

 

……今、首振ったよね?

……覚えてないよって意思表示かな?

……ていうか、旅番組、覚えてないんか〜い!

……聞こえてるよね、顔も見てくるし。

……なんかいつもより顔色も良いのだが。

 

 

通常は「胃ろう」で栄養をとっているのだが、下血のこともありこの時は点滴。

それが効果テキメンだったのかどうかは医師でないのでわからないけど、とにかくその日は奇跡的な好反応だった。

 

 

1時間ほどベッドを中心に4人でいて。

“今日あした” どころか、このまま奇跡の回復をするのでは?ってくらい調子がよさそうなこともあり、「……大丈夫そうなので、今日のところは……」と帰ることに。

 

 

じゃあまた来るねと振り返ると、ベッドを囲むカーテンが1メートルくらい開いていて、そこから寝ている親父が見えた。

 

親父は、じっとこちらを見ていた。

確実に、見ていた。

こんなに目を開き続けたことはないってくらい。

全身全霊で首を立てようとしていたようにも。

我々が視界から消える最後まで、じっと見ていた。

 

 

 

帰宅中、ふと思う。

いつ以来だろう、家族4人が揃ったのは。

 

 

去年だ。

おじいちゃんが亡くなって、実家にみんなが集合したとき。

親戚など含む、今後の段取りの打ち合わせも終わり。

「晩メシでも食うか」と父、母、姉、私の4人で卓を囲んだ。

 

 

こう4人で卓を囲んで食事をしたのはいつ以来だろう。

 

 

我が家は、かなり早い段階で「家族団らん」が終わっていた。

私が小3か小4の頃には「4人で食事」は完全に消滅した家庭になっていた。

家庭崩壊とは少し違う。

「それぞれの意思」や「自由」を尊重する考え方の家だった、ってこともある。

 

小5小6にもなると、土曜日は1000円渡されて「自由に使って何か食え」スタイルに。

母は私と姉に金を渡し。

親父は行きつけの居酒屋に飲みに行き。

私はラーメン屋などに行きチャーハンなどを食い歩いたり。(←それが今につながる)

姉は自炊して金を貯めたり。

それぞれ。

みんな好きなものが食べられるし、好きなことできるし、経験値あがるし、サバイバル能力も鍛えられる。

ともかく自由なのだ、羽鳥家は。

 

 

それはさておき、笑って、バカ話しながら4人で食事をするのはいつ以来だろう。

下手したら小2とか以来かも。

てことは……40年くらい前になる?

なんか、懐かしい。

4人で食べてた「日曜日の朝食」を思い出す。

 

 

結果的に、私の父、羽鳥伸俊一家4人で卓を囲み、食事をしたのは、この2024年の冬が最後になった。

 

もうひとつ、生きている父を囲んで4人で集合したのも、この2025年秋の病院、「超反応おやじ」の時が最後となった。

 

 

──その後は安定。

しかし、数日後にはまた下血して緊張が走る。

でも安定。

その繰り返し。

 

 

事態が動いたのは先週木曜。

お見舞いに行った姉から「父の顔色を悪い」とLINEで連絡があった。

医師に聞いたところ血尿が始まったと。

ベッド脇にある尿パックには鮮血が。

他は安定しているが……みたいな感じ。

 

 

翌日の金曜日。

その日の私は、モーレツに忙しいことが確定していた。

記事数が足りないと。

キックやポールの練習してる場合では無い。

私は1日に4本も記事を書くという、ひさびさにモーレツライターモードになっていた。

同時に編集長業務もこなしつつ。

さらに、チラッと歯医者にも行きつつ。

そしてとある記事の確認返事待ちの最中、バイクをすっ飛ばして親父の病院へ行った。

なんとなく、今日行っておかないと後悔する予感がしたから。

 

 

これもまた「勘」に過ぎないが、なんらかの「異変」や「変化」や「気」みたいなのを無意識的に感じての「勘」なので、私は勘を信じる方だ。

 

 

行ってみると、親父の顔色は非常に良かった。

少し痩せた感じだが、血色良く「いつもの親父」がそこにはいた。

いや、いつも以上に、「入院中の親父」ではなく「いつもの親父」だった。

 

姉に「元気そうだが」とLINEすると、「そんなわけない」と言う。

血尿の入ったパックみたいなのは、ぶら下がってないか? ……いや、ない。

苦しそうでは? ……いや、顔色は良い。

 

そうこうしてたら、寝ていた親父が目を開いた。

親父、おはよう!

豪だよ〜!

 

前に家族4人が揃ったときほどではないが、じっと私を見ていた。

何か言いたそうに見えたけど、「話す」という奇跡は起きず。

元気そうなので、「また来るね」とバイバイした。

 

 

ちなみに帰宅後、私はさらに仕事をし、23時からジョギングし、その後さらに仕事した。

我ながら狂ってると思う。

 

 

 

そして昨日の日曜日。

ポールダンスの練習後、予約していた美容院に向かっている最中、姉から電話。

父がもう危険だと病院から連絡が来たと。

すぐさま美容院にキャンセルの連絡をし、新宿駅からタクシーに飛び乗って病院へ。

 

私のタクシーが到着するのと同時に、母、姉、叔父の3人が乗った車も滑り込んできた。

4人で病室へ向かうと、親父は白くなっていた。

 

えー!

すごい真っ青!

これはもうヤバいのでは……!

 

──と思ったら、叔父が「この機械、もう、ゼロになってる……」と。

 

ピッピッピってやつが、0になっていた。

すなわち、すでに親父は死んでいたのだ。

 

病院の先生いわく、我々が到着する、ちょうど10分ほど前に機械の数値はゼロになったと。

 

また、姉いわく、木曜日の親父は、このくらい顔色が悪かったと。

このくらい白くなっていたのでLINEで連絡したのだと。

 

しかし私が金曜日に会った親父は、血色の良い「いつもの親父」。

姉との会話が噛み合わないはずである。

 

「豪を待っていたのかもね」

 

そんなことを母が言った。

結果的に、生きている父と最後に会ったのは私になった。

 

 

 

その後、私は清められた親父と共に実家に帰った。

お迎えの支度をするため、母たちは先に帰宅していた。

 

すでに親父の部屋には、親父の布団が敷かれており、ようやく親父は「帰宅」できた。

1年半ぶりに、親父が大好きな「家」に戻った。

 

枕元には、オヤジが好きだったタバコを置いた。

吸いかけふくめ2箱あったので2箱置いた。

 

去年、親父に誕生日プレゼントを送った。

焼酎を贈った。

いつも私が誕プレに酒を贈ると、大切に保管し、年末年始に飲んでいたそうな。

しかし2024年、誕生日の翌月に親父は倒れた。

飲めずじまい。

なので、この焼酎も枕元に置いた。

 

 

晩年の親父に会うとよく、「仕事仲間から、お前んとこのせがれがテレビに出てたぞ、なんて言われてよぅ」と、嬉しそうに話していた。

よく言われるそうだ。

照れくさそうかつ、嬉しそうに話す。

そういうところでは、私は親孝行できたのではないかな、と思う。

また、こういうことがあるので、私はテレビやラジオの出演も大切にしているフシもある。

みんなが喜んでくれるから。

 

 

ある時、親父は私に言った。

「お前はスゲーな、1人で海外のいろんな国に行って。俺は無理だね」

旅番組は大好きだったけど、国内含め、旅に出ることは無かった父。

仕事のとき以外はとにかく家ってほど、「自分の家」が大好きだった父。

 

家で倒れ、病院を転々と1年半、ようやく家に帰ってきた。

そして父は旅立った。

 

おやじ、お疲れ様でした。

思う存分、タバコと酒と読書を楽しんでください。

良い旅を。