羽鳥商店

GO羽鳥(マミヤ狂四郎)の自由帳。

死ぬ恐れのあるバイクに乗って「どう生きるか」を考えた

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日、家を出る直前まで、バイクにしようか電車にしようか最後の最後まで迷った。

 

結局、山手線でトラブルが発生しているとのニュースが聞こえたのでバイクにしたのだが、最初の迷いとは全然違うところで「やはりバイクも良いものだ」と思った。

 

 

なぜバイクと電車で迷ったのかといえば、電車に乗っている最中は「作業ができる」からである。

画像の加工や、動画の制作、なんとまさかのブログ書きまで。

ほんのささいな作業なら、電車内ならスマホで作業ができる。

少しでも、1枚でも、作業を進められる。

さらに音楽も聴ける。

窮屈なのは苦痛だけど、つまるところ「働ける」から、いつも電車を選ぶのである。

 

 

対してバイクに乗ったら作業はできない。

音楽も聴けない。

死なぬよう、ひたすら運転に集中するのみ。

暖かいなら気持ち良いけど、この極寒の中だと、なおさらバイクを敬遠しがちに。

 

 

でも今朝は、電車のトラブルと、時間的な「もうバイクで行くしか間に合わない」というところまで追い詰められていたのでバイクにした。

 

 

そして、運転しながら考えた。

いろんなことを考えた。

 

もちろん安全運転のことが第一だけども、そのほか、いろいろ、本当にいろいろなことを考えた。

 

普段も考えているほうだけれども、なぜかいつもより、バイクに乗っている時の方が、深く自問自答しているような気がする。

 

ほんの些細なミスで死ぬ恐れもあるバイクに乗っているからなのか、いつもより自問自答の「深度」が深い気がする。

 

考えの先にある「覚悟」みたいなものも深い気がする。

 


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なにをすべきなのか。

どうすべきなのか。

どう生きるべきなのか。

 

他の乗り物に比べたら、圧倒的に命の危険度が高いバイクに乗りながら、「どう生きるか」について自問自答する。

 

昨日は自転車に乗っていたが、その時も自問自答していた。

自転車もまた、車道に出たら危険度は高い。

 

 

今日はバイクに乗ったあと、車で海に向かい、クルーザーに乗って沖まで行って、父の散骨、つまり父の人生の最後の最後を見届けた。

 

私の手で、ズシリと重い父の骨を海へ投げ入れた。

 

父がどう生きたかのすべては父にしかわからないし、私はその一部しか見ていない。

 

ただ、父の人生の最後の最後は、長女と孫のひとりが見守るなか、長男の手によって散骨された。

富士山の見える、大海原へ。

 

どう生きるべきか。

どう生きたら、納得できる最期を迎えられるだろうか。

 

走っても、走っても、凍える冷たさの向かい風。

 

そんなことを考えながら、私はバイクで家まで帰った。

 

 
 
 
 
 
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