このところ、チャオスの記事を書くときに、気持ちの中でブレがあった。
読者からのコメントに右往左往しすぎたのだ。
ことの発端は、「チャオスの原文を載せて欲しい」というリクエストメールだった。
そのまま載せても味のない記事になるんだけど、それでも読みたいのかしら……と思いながらも、物は試しと併記してみた。
個人的には、そんなに面白い原稿ではないと思う。
PV的にもイマイチだった。
そしたら、「原文なんて載せなくていい。羽鳥さんの超訳が読みたいんだ」とのリクエストメールが届いた。
嬉しかった。
ノリノリで書いた。
うん、いつもの調子。
何よりやってて私が楽しい。
そしたら、こんなメールが先日届いた。要約すると、
「超訳にも限度があるでしょ」
「チャオスさんの記事というより羽鳥さんの記事じゃないですか」
「羽鳥さんはこれまでアフリカ記者の記事をいじくりまわしなことを超反省してほしいものです」
と。
超訳って、私が作った言葉なのだが、限度なんて誰が決めたのか。
チャオスのレポートに日本風の味付けして読みやすくするのが私の仕事。
何より多くの人に読まれなきゃ意味がない (お金を稼げない)のだ。
いじくりまわすもなにも、ルカの時なんて、ほとんど一言だけの返事しかこなかった。
それを記事にまでもっていくのが、どれだけ大変なことか。
聞き出して、聞き出して、それでも足りないから、伸ばして伸ばして……。
嘘は書けないし、彼らの言うことを、なんとか皆が読める記事にまで持っていくことの大変さ、わかるはずもないだろうけど、「超反省して欲しい」だなんて、何様のつもりなのか。
そのまま載せたら誰からも読まれないというか、記事として成立しないから載せられない。
※いろいろ配信先もあるし。怒られちゃう。
そしたら彼らに原稿料も支払えない。
助けて欲しいと言う彼らを助けられない。
それでも「超反省して欲しい」だなんて言えるのか。
こういったリクエストなりご意見なりは、ロケットへのお問合せ、ならびに、ダイレクトメールでひっきりなしに来る。
それはもうひっきりなしに。
少しは対応したほうがいいのかなといつも思っていたけれど、あまりにも失礼というか、こちらの状況をわかっていなさすぎなうえ、遠慮のない言葉を送ってくる人が多い。
私も人間なので、いちいち気にしたりもする。
心、傷つくこともある。
なぜそんなむきだしの言葉を、見知らぬ人に送れるのかと、疑問に思うことも多々ある。
やめたやめた。
もう反応するのはやめた。
もうブレるのはやめた。
私が面白いと思うことだけをやる。
でないと、アフリカの彼らのことも助けられない。
何も責任なく、言いたいこと言うだけの人の意見なんて聞くのはやめた。
言うだけ言って、何もしない人の意見は聞くだけ無駄。
チャオス、並びに、彼らの家族を助けるのは私なのだから。