こうして、普通の人よりは人前に出る仕事や生き方をしていると、SNSとかで匿名様に悪意あること言われたりする。
私が投稿したものに対して、わざわざ
「承認欲求のかたまり」
とか送ってくる。
すれ違いさまに後ろから糞を投げつけられるように。
そしてそんなのは日常茶飯事でもあるが……
何もわかってないな、と思う。
いろんな肩書きがあるけれど、プロの漫画家として活動して、もう25年。
かれこれ四半世紀、漫画家だ。
漫画家ってのは「総合的なエンターテイナー」であると私は強く思っている。
人を楽しませる仕事、それが漫画家。
漫画だけでなく。
文章でも、イラストでも、写真でも。
あるいは自分そのものでも。
顔芸であっても、シモネタであっても。
どんな手段を使ってでも、人を楽しませる。
私の思う漫画家は、あらゆる武器を駆使して血生臭くも芸術的なプロレスを魅せるハードコア系デスマッチファイターのようなイメージだ。
だから私は昔から漫画の中に写真も堂々と入れてきた。
口にペンをくわえたり、足でペンを握って描いたこともある。
描くことすら放棄するなんて日常茶飯事。
手抜きという概念ではなく、コピペだけで漫画を描いたこともある。
(※↑わりとそれいつも)
漫画として成立してさえいればノールールでOK。
それが私の「漫画」なのだ。
たとえプライベートでつらいことがあったとしても、仕事の案件によっては人を笑わせなければならない。
泣きながら笑える漫画を描く。
描き終えた漫画を読んで自分で笑う。
つまり泣きながら笑う。
精神崩壊してないとできない。
それがプロのギャグ漫画家の仕事であり、 エンターテイナーとしてのプロ意識。
私はそれを、肉親の死を知りながらも普段通りに試合をこなし、お客様を楽しませた上で病院に駆けつけた女子プロレスラー・アジャコングから学んだ。
そんな、人を楽しませるエンターテイメントの一環としての活動のひとつがSNS。
どうぞ私を見てください。
どうぞ私の生き様を見てください。
どうぞ私の恥で笑ってください。
楽しんでください。
嫌いになってもかまいません。
何かを感じてくだされば、それだけで満足です。
そんな思いで投稿している。
私は、25年も「見てもらうこと」を仕事にしてきた。
「見てもらう=生きること」でもある。
その逆もしかり。
「見てもらえない=死」という職業なのだ。
それはもう体に染み付いている。
死にかけたことなんてしょっちゅう。
もう私は、死にたくない。
そんな漫画家という仕事人に対して「承認欲求のかたまり」とか送ってくるって、本当に何もわかってない。
わかってなさすぎて泣けてくる。
しかも匿名で身分を明かさず送ってくる。
コソコソ隠れながら悪口を送ってくる。
あまりにも哀れな生き方で、泣けてくる。
たぶん、そういう人は、死んでいる。
「お前はもう死んでいる」ではないけど、人としての心は死んでいる。
肉体は生きているけど魂は死んでいる。
だから怒りよりも、かなしみ、あわれみの感情のほうが先に来る。
私は、生きるために今後も生き様を見せていく。
誰になんと言われようと、私は生きる。
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