同僚の佐藤さんは「恐れ入ります」の使い手だ。
会社で先方と電話しているのに聞き耳を立てていると、かなりの確率で「恐れ入ります」と言うのである。
どんな会話なのかは不明だが、おそらく抜群のタイミングで「恐れ入ります」を繰り出している。
それはまるでドンピシャのタイミングでボディフックを打ち込むプロボクサー井上尚弥のごとく。
しかも佐藤さんの「恐れ入ります」の「恐れ入ります感」は、本当に恐れ入るほどの「ザ・恐れ入ります」であり、46年間の人生すら感じさせる熟練の「恐れ入ります」なのだ。
やや申し訳なさそうに。
電話なのに、軽く頭を下げつつだ。
そんな佐藤さんの「恐れ入ります」が出るたびに、私は「キターッ!」っと心の中でシビれていた。
おそらくだが、「恐れ入ります選手権」があったとしたら、佐藤さん、かなり上位に入るのでは?
そんな気さえするほどの、恐れ入ります界のハードパンチャーなのだった。
一方わたしは……練習生。
いつか来るであろう「恐れ入りますタイミング」に備え、心の中で練習していた。
「恐れ入りますシャドーボクシング」とでも言おうか。
相手の言葉を想定して、心の中で「恐れ入ります」を唱えていた。
しかし「恐れ入ります」は難しい。
なぜなら「当身(あてみ)」というか、相手からのアクションに対して放つブローだからである。
相手がストレートを打ってきたところを、ヘッドスリップで交わしてからボディに打ち込む……みたいな高度な技術が要求される。
なぜ私がここまで「恐れ入ります」を意識するのかというと、恥ずかしながら生まれてこのかた40年、しゃべりで「恐れ入ります」を使ったことがないからだ。
メールならある。
メールなら落ち着いて対処できるから。
でも、いざ相手と対峙しての「恐れ入ります」は、使ったことがないのである。
経験と反射神経がモノをいう世界。
いつも、とっさに「ありがとうございます」や「恐縮です」で対処していた。
しかし、つい先日。
取材先で。
どんな案件かは言えないが、私の出番がある的な取材だった。
しかし予定の時間より、かなり押していた。
1時間くらいは押す見込み。
あるいは1時間半くらいか。
じっと待つ。
私はスマホでブログでも書いてれば全然待てる気でいるのだが、先方の方々はとても申し訳なさそうにしていた。
そんな時、先方のかたが気を使って、私に「何か飲みますか?」と、自販機の写メを見せてきた。
この中から選んでください的な。
ほー、こういうやり方、スマートだな……と思うと同時に、私は感じた。
時は来たと!
そして……
「ありがとうございます、では、お水をいただきます。恐れ入ります(ペコリ)」
ついに、ついに、言えたのだ。
しかもペコリ付きで。
佐藤さんほどの「こなれ感」はないものの、ぎこちないながらも、ついに、ついに、「恐れ入ります」を実戦で使うことができたのだった。
その時のペットボトルの水は、もったいなくて、そのまま持ち帰った。
今は冷蔵庫で冷やしている。
あとで飲もう。
恐れ入ります、と感謝しながら。