新居ってほど新しくはないのですが、引っ越しして3年? 4年目? いまだ初々しく、新居の気分で暮らしています。
普段は日中に家を空けていることの方が多いので、たまに家にいると「こんなに日が入るのか」と驚いたりします。
とはいえ、常に日が入るわけではなく。
ビルとビルの隙間とかから、絶妙に光線のような日が数分間だけ差し込んで……みたいな。
さらにその日差しは、毎回違う。
太陽も動いているので違うのは当然なのですが、「わずか数分しか差し込まない」からこそ、その違いに気づきやすかったりもします。
一期一会の日差しや、影を見るたびに、「この家に越してきて良かったな」と思います。
“常に変化する家” みたいな印象があります。
日差しが差し込むのは、冬なら午前11時〜13時までの間かな〜。
夏となると、角度が違うからか、また全然違う日差しになります。
常にこんだけ日が入ってたら最高なのにな……なんて思いつつ、貴重な「日の時間」と対峙するとテンションもあがり写真をパチパチ。
前まで住んでた下高井戸の家は「常に日が入りすぎる家 (太陽の家)」だったので、正直そこまでのありがたみは感じませんでした。
なにごとも “当たり前” になると感動も薄れるもの。
“たまに” を全力で楽しむ方が、もしかしたら幸せなのがしれません。
ちなみに、うち、やたら広く見えるかもしれませんが、これ「広角マジック」です。
実際はこんなに広くありません。
そう見えるだけです。
この机のある部屋は6畳。
実際はそんなに広くありません。
でも、ベランダに「サンダルに履き替えず、そのまますぐ外に出られるデッキパネル」とかを敷くことにより、ベランダ部分も「部屋の一部」に見えるような工夫はしています。
たとえば夜。
ほら、実際はベランダも外なんだけど、照明で木々をライトアップすることによって、「真っ暗なベランダ=外」から、「まるで演出のように木々たちが照らされたベランダ → 中庭」みたいに思えるではありませんか。
こうなると、「外に空間がある」 → 「その空間は、そのまま出られる」 → 「部屋の一部」 → 「広い」と感じるのです。
たぶん。
竹も日没の瞬間からライトアップ。
ある時刻になると、自動的に消えるよう設定されています。
メインのジャングルも同じく日没の瞬間からライトアップが始まって、ある時刻になると一斉に消えるようになっています。
消えたらもう「おやすみ」の合図。
本当よ夜だよ、寝る時間だよ〜と、木々が教えてくれるわけです。
そして寝て……
まず、日の出とともにパキラの植物ライトがつきます。
本当に日の出の時刻と同時なので、夏と冬では時刻が変わります。
毎日変わります。
でも制御アプリが「日の出」を計算して、本当に日の出とともにつけてくれます。
その光で起きる時もある。
「あ、日の出の時間だな」
「太陽がのぼったな」と。
それでも起きなかったら、毎朝6:30から、勝手にテレビがついて、NHKのニュース番組が流れるようになっています。
眠気まなこでニュースを聞いて、ある程度の世の中のことを把握します。
私がちゃんとニュースを仕入れるのは、ほぼこの時だけかもしれません。
いずれにしても、あまり日が差し込まない、太陽の姿も一瞬しか見えない家だけれど、結局は太陽を中心に動いています。
どこにいても、太陽は感じていたいです。
どんなに日当たりが悪くても。
100万円の古民家でも。
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