なにかと縁のあるベトナム南部ホーチミン (旧サイゴン)。
いろんな国に行ってきたけど、やはりベトナムは特別。
いろんなことがあったホーチミンはさらに別格。
ホーチミンには家族がいる。
20年前、私はここで肺炎になった。
心臓あたりに激痛が走り本当に死ぬかと思うほどの重症。
そんな時に見守ってくれたのが宿の女将さん。
ママさんだ。
明け方に病院から帰ってきた私にママは「どうした!」と心配そう。
しんどくて外にも出られないくらいの私に、特製の「チャオガー (鶏粥)」を作ってくれた。
コショー強めのペッピーなチャオガー。
私の作るチャオガーの味は、ママのチャオガーの味でもある。
ベトナムに行くたび、そんなママさんにご挨拶。
いつも笑顔で優しいパパさんは数年前に亡くなった。
なので、お香典を包んでお線香をあげに行くのだ。
命の恩人だから。
パパさん、ママさんは宿にいる。
そんな宿に「ねえさん」がお見舞いを差し入れてくれた時もある。
時系列で書くとこうだ。
わたしの親友「ケンちゃん」がラオス旅行
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ケンちゃん、ラオスにて「ねえさん」と出会う
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ねえさんはベトナムのホーチミンで働く日本人女性だった
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バンコクに戻ったケンちゃん、旅を始めたばかりの私と合流
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三日間くらい一緒にいて、ケンちゃん帰国。私は1人での旅をスタート
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2、3ヶ月後。私がベトナムのホーチミンで肺炎になって死にかける
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ケンちゃん、ホーチミンにいるねえさんに連絡
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「おーい、豪、大丈夫か〜?」と、ねえさんがドラゴンフルーツを持って見舞ってくれる。
これが私とねえさんの出会いだった。
ねえさんと私は、その後、めちゃくちゃ飲んだ。
まさに「飲み友」みたいになり、昼間っから酒を飲み交わすことも。
とあるバインセオの名店でビールを飲みすぎたねえさんがブっ倒れ、店員さん達に介抱されていたこともある。
とはいえやっぱり思い出すのは気の強さ。
ベトナム人と大声を出して喧嘩しているところを何度見たことか。
強い女。
とにかく存在が「ねえさん」なのである。
そんなねえさんと再び繋がったのは、去年9月。
奇しくも私はベトナム、それもホーチミンにいた。
私がベトナムに滞在している間に放送された『奇跡体験!アンビリバボー』のマサイのルカ&GO羽鳥回を目撃したねえさんはケンちゃんに「おい観たか」と連絡。
テレビをつけっぱなしにしていたら、偶然GO羽鳥の話が始まったそうだ。
それを聞いたケンちゃんが私に繋ぎ、「こんど会おう」ということに。
私がホーチミンにいるときにホーチミン友達のねえさんと再びつながるなんて面白いなと思っていた。
ところが、その後にやりとりしていたケンちゃんの話だと、どうも姉さん、体調がよくないという。
よくないも何も、癌で闘病中であるという。
それでも昨年。
「会おう!」と。
日時を決めて3人で会った。
私はホーチミン以来。
ほぼ20年ぶりのねえさん。
ホーチミンで買っておいたユニクロホーチミン限定デザインTシャツ3枚のうちの2枚を持って。
ひとつはねえさん、ひとつはケンちゃん。
もうひとつは私が着ている。
闘病中であることはすぐにわかった。
だけど、ねえさんは気丈だった。
気持ちで生きるねえさんを垣間見た。
数ヶ月前。
ケンちゃんと「そろそろ、またねえさんと食事したいね」なんて話していた。
そして私は、昨年9月に引き続き、2023年の9月もホーチミンにいた。
狙っていたわけではなく、突発的に「行こうかな」と。
やたらとねえさんのことを思い出していた。
「ここでねえさん、倒れたなぁ」とか。
「ここでねえさん、怒鳴ったなぁ」とか。
「ねえさんとよく生ビールの店に行ったなぁ」
今回の旅では、いつも以上にビールを飲んだ。
いろいろな記憶を思い出しながら。
そして私はベトナムからタイへ。
そんなタイミングで、私、ケンちゃん、ねえさんのグループLINEがピコンと鳴った。
「ダメだったわ
すげー頑張ったけど
ラオスでケンタローに出会って
サイゴンでゴーに出会って
ほんとに楽しかったぞ!
お前たちの今後の人生が
楽しく豊かである事を祈ってるありがとう‼️」
送り主は、ねえさんの旦那さんだった。
昨日、静かに息を引き取ったと。
メッセージを託されていたと。
なんとも明るく気丈な言葉。
強さも垣間見えるメッセージ、ねえさんらしい。
私がホーチミンにいる時、ねえさんと何かが起きる。
ねえさんはホーチミンのことを、「サイゴン」と呼ぶのが好きだった。
もしかしたら私は、サイゴンでねえさんと飲んでいたのかもしれない。