最も安い4人部屋での入院。
声しか聞こえないが、私以外は「おじいさん」と呼んでも差し支えない年齢のようだ。
しかし素直に「おじいさん」と呼べるのは1人だけで、残り2人は実に困った爺さんたちである。
ため息、文句、独り言。ゴネるわ無茶言うわ怒り狂うわ、ひたすら看護師さんたちを困らせている。
困らせるのが生きがい、もしくは暇つぶしになっているのでは? というレベルでナースコールを鳴らしまくる。
苛立ちか。寂しさか。いずれにしても問題児ならぬ「問題じじい」だ。
タイプ的に分類すると、1人は「迷惑じじい」、もう1人は「クレーマーじじい」となる。
クレーマーじじいは、文字通りナースコールで誰かを呼びまくり、心底しょーもないクレームを垂れている。
迷惑じじいのほうは女性看護師に「ちょっと、イタズラしないでもらえます? さわらないでもらえます?」と怒られていたほどで、何かと迷惑かけまくる。
そんな2人が、カーテン越しに冷戦を始めたのだからたまらない。
一気にピリつく4人部屋。
その緊張感は、えなりかずきと泉ピン子が同じ現場にいるくらい張り詰めたものだった。
ちなみにその時、もう1人の無害な「おじいさん」は、意味もなくパンツを脱いでスッポンポンになり看護師さんに怒られていた。
よって平和路線ではあるが戦力としてはゼロである。
それはさておき、ことの発端は、迷惑じじいの「タンが絡んだ咳」だった。
ゲボゲボと、いかにもタンが絡んだ咳を遠慮なく連発する迷惑じじいに対し、クレーマーじじいが「……うっせえなぁ」と小声でクレームを申し立てたのだ。
すると迷惑じじいは、「ゲボゲボ……ンだコノヤロゥ……」とタン咳を織り交ぜながら江戸風に応戦。
クレーマーじじいは「……きったねぇなぁ」と、これまた独り言とも言える小声で返した。
「ったく……ゲボゲボッ! ゲボボッ!」
「っせぇ……」
いつ本格的な戦争が始まるのかと内心ヒヤヒヤしていたが、下半身露出じいさんの存在が平和の象徴的に効いていたのか、お互い正面切ってぶつかりあうことはなく、ほどなくして通常モードに切り替わった。
迷惑じじいはナースコールで看護師さんを呼び出し「首が痛い」と訴え始め (直後の検査で異常なし)、クレーマーじじいは「ギブスに対して言いたい事があるら責任者を呼べ」とオペ直後の先生を呼び出しては、しょーもない難癖をつけ始めた。
なお、下半身露出おじいさんは、意味もなくオムツを外してこれまた怒られていた。
それらにいちいち応じなければならない看護師さん、ならびに先生たち。
本当に本当に気の毒だ。
こんな時のために、ヤーさんみたいな「恐怖の看護師さん」がいても良いのでは……なんて考えていたら、私を含めてじじいコンビも同日退院。
すると!
あれだけ迷惑かけていたのに、「さびしくなるね」と彼らに優しい声をかけていた看護師さん。
わざわざシフト外なのに「元気でね」と見送りくる看護師さんまでいる始末。
優しすぎる!
なんという天使なのだろうか。
おそらく私の見えないところでお互いに強い絆や情が築かれていたと思われるが、それにしてもみなさん心が広すぎる。
それはまるで大海のように。
荷物整理を終えたクレーマーじじいが、ルンルンと鼻歌を歌いながらナースコールのボタンを押す。
「どうしました?」
「トイレ!」
ほどなくして看護師さんがやってくると、横から迷惑じしいが「あのさ、オレの荷物だけど……」と看護師さんに質問。
横取り的に「オレのあの荷物がさぁ〜」と大きな声で看護師さんに話しかけていたが、それに応じたのは
「オイオイ、おれ、ウンコ漏れちゃうよ!(笑)」
というクレーマーじじいのひとことだった。
ドッと沸く室内。
迷惑じじいも「そりゃいかん(笑)」と笑顔の様子。
カーテン越しだけど、きっとみんな笑顔だったと思う。
こうして緊張の「ファーストコンタクト、ウンコ」は大成功をおさめ、世界に平和が戻ってきたのである。
ウンコって偉大だ。
そんなこんなで私も退院。
最後にエレベーターで看護師さんに「お世話になりました。ありがとうございました」と頭を下げると、看護師さんも「ありがとうございました」と扉が閉まるまで頭を下げていた。
本当に、本当に、医療従事者の皆さんには頭が上がらない。
きちんとした医療ができる環境になることを、そして金銭面でも労働に伴う真っ当な評価がされる世界が来ることを願ってやまない。