
最近、ふと気づいたことがある。
自分は思っている以上に、生成AIに寄りかかった生活を送っているのではないか、ということ。
私はAI依存になっているのでは? と。
たとえばAmazonで栄養ドリンクを探していたときのこと。
「今買える中で、最強のコスパと効き目を兼ね備えた一本はどれか」とAIに尋ねたところ、迷うことなく『タフメイト3000』と即答。
半信半疑で調べると、成分や価格のバランスが実に理にかなっており、思わず「なるほど」と頷かされた。
食に関しても同様で、炒め物のオリジナルレシピを考案してもらったりしている。
冷蔵庫にある食材を並べて「これで疲労回復メニューを」と投げれば、想像以上に筋の通った料理案が出てくる。
料理という極めて “生活そのもの” の領域にまでAIが入り込んでいるのは、よく考えればなかなかの未来だ。
実は投資でも頼りにしている。
少額ではあるが投資信託を積み立てており、「最近は日本株が強い気がするので、配分を少し変えるべきか」と相談してみたところ、理由づけを添えて最適とされる比率を示してきた。
自分一人では到達しづらい視点が混ざっており、思った以上に助けられる場面が多い。
さらに言えば仕事でもバリバリ活用中。
誤字脱字チェックはもちろん、ファクトチェックもしてもらう。
もちろん完璧ではないので、完全には信じない。
でも「半人前」の手伝いは確実にしてくれる。
あるいはこんな使い方も。
思ったことを「書く」のではななく、音声入力で「話し」て文章に。
当然グッチャグチャの “文字の塊” になるわけだが、それを「要約しつつ記事にして」と言えば、そこそこしっかりとした記事になる。
もちろんAIなのだからGO羽鳥色が消えた文書ではある。
しかし、あとあと整えればGO羽鳥風になる。
半分くらい、作ってくれる。
もう半分を自分でやればOK。
漫画家で言うなら、もう完全に「アシスタントさん」がそこにはいる。
仕事でも使い、ダイエットの相談までしているのだから、改めて振り返ると、なにげに生活の随所にAIが介入している状態。
そこはかとなく「依存」に近い状態になりつつある。
そう考えると、わずかな怖さが胸をよぎる。
私の脳みその一部にAIがあるような感覚。
物理的ではないが、間接的に「入り込んでいる」のは間違いない。
ともすれば、いつかAIに乗っ取られてしまうのではないか。
私自身を、AIに乗っ取られてしまうのではないか。
果ては、人類はAIに乗っ取られてしまうのではないか──?
だが同時に、これは避けようのない時代の変化でもある。
気づけばスマホが必需品となったように、AIもまた、当たり前の存在へと変わりつつある。
数年前から多くの人がスマホ依存になっている。
次はおそらくAI依存の時代が来る。
いや、もう来ている。
少なくとも、私には。
だって、このブログ記事も──。
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