軽バンに乗って「現場」である100万円の古民家へ。
汗だくで肉体労働の作業をして、夕方ちょい前くらいに昼ごはん。
お弁当を持ってきたのだ。
なぜなら食堂やコンビニに車で向かう時間さえ惜しいから。
おかずを詰め込んだだけのお弁当。
レンジもないのでヒンヤリと冷えている。
だが、そんなに悪くはない。
これはこれでアリ。
冷えてる弁当は、冷えてる弁当なりの美味さがあるな……なんて思った。
あと、なぜか「もうちょいがんばるか!」と気合いも入った。
温かい弁当が「。」だとしたら、冷えた弁当は「、」みたいな。
そんなことを考えながら、ふと、親父のことを思い出していた。
うちは代々続く 瓦問屋の「羽鳥商店」で。
屋根瓦とか鬼瓦とかの「瓦 (かわら)」の問屋。
ひいじいちゃんの生家が瓦屋さんだったことは分かっている。
ひいじいちゃんの生家の、さらに過去がどうなのかは追えていないが、少なくとも親父は羽鳥商店4代目だ。
となると私は5代目となるが、親父の代で瓦問屋「羽鳥商店」は潰れたので、私はブログという形で「羽鳥商店」を残すことにしたのだ。
だからブログのアイコンが鬼瓦なのである。
それはさておき、親父の話。
親父の仕事は、日が昇る前くらいから屋根瓦をトラックに積み込み、朝早く「現場」へと向かう。
そして、屋根瓦を降ろす。
それが問屋の仕事だ。
親父は、毎朝カーチャンが作るお弁当を持参していた。
朝早く起きて弁当と水筒を用意するカーチャンも偉いが、まぁ「おかず詰め込み系のお弁当」ではあった。
ドカベン的な。
きっと親父も、現場で汗だくになりながら肉体労働の仕事して、ひと段落したところで冷えた弁当を食べていたことだろう。
今日の私は、親父と同じことをしているなと。
冷えた弁当を食べて、そう思った。
羽鳥商店が潰れたのは、私が26歳くらいの時。
私はとっくのとおに独立していたので、特に家計的にヤバイ! というわけでもなかった。
親父は瓦問屋の4代目として、日曜以外はトラックに乗って現場に行き、汗だくになって仕事をして、カーチャンが早起きして作った冷えた弁当を食べて気合を入れ、夜まで仕事して、私と姉を育て上げた。
やりきった。
偉いなと。
ただただ偉いなと。
そして感謝。
ありがとうございますと。
若い頃はあまり尊敬することはなかったけど、やりとげた親父、尊敬である。
私も頑張らねばと。
いろいろと、やりとげなければと。
冷えたお弁当を食べて、そう思ったのである。
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